少し前のブルータスで
「美味求真」(びみぐしん)という特集がありました。
食にこだわった人達と、その本が紹介されていて、私はそこで初めて
木下謙次郎という人を知りました。
彼は、大正14年に
日本初の食を主題にする随筆「美味求真」を書き、その食に対する飽くなき探究心がつまった著書はベストセラーとなり、現代に至るまで読み継がれているとのことでした。
その内容もさることながら、木下謙次郎という人の背景にも興味を持ち、私はいつか読んでみたい!と思いました(^^)。
それからしばらくして・・・
私は仕事の調べモノをしに図書館へ行った時、ふと「美味求真」のことを思い出しました。
あ、もしかしたら、図書館にあるかも。
Bingo!ありました。
図書館の中でも今まで立ち入ったことのない貸出禁止の本たちが収められている場所に「美味求真」はありました。
(図書館の本は撮影禁止のため、画像はお借りしました。)
本はとても古く、ページを捲るのも少し緊張するほど。
そしていよいよ読み始めてみると・・・
おもしろい(>_<)。
恐ろしい程の情熱。且つ、木下謙次郎という人の人柄・言葉。(ちなみに、木下氏は料理人でも研究家でもなく、政治家なのですよ)
私は時間を忘れ3時間ほど読み耽りました。
そして読んでいると、あることに気付きました。
所々に書き込みがあるのです。
あ、もしかしたら、これ誰かの本だったのかも。
Bingo!原田種夫さんという方が寄贈された本でした。
原田種夫さんは、たくさんの本を図書館へ寄贈されていました。
どのような方なのか気になって調べてみたところ・・・
九州文学の発展にその生涯を捧げ、今日の「九州文学」の土台を築かれた方(作家)でした。
北原白秋に師事し、詩、小説、文壇史、随筆など幅広く活動をされ、多彩な創作の才能を持ちながら、中央の文壇を目指す華麗な道を選ばず、生まれ育った福岡の地に根を下ろし、地域文化の土壌を黙々と耕し、種をまき、花を育てる裏方として『縁の下の力持ち』に徹した方なのだそうです。(参考:西日本新聞1989年8月17日付社説)
調べれば調べるほど原田種夫さんという方の魅力に惹き込まれていきました。
そして、原田さんの文学碑が中州にあることを知り行ってみました。

「人間」
ひとを にくむなかれ
にくむこころは はりねずみ
サボテンのとげのいたさである
ゆるしてやれ いたわってやれ
ひとのにくたいの一部には
どうしても消えぬ臭い所がある
それがにんげんが神でない印だ
ゆるしてやれ いたわってやれ
平成元年七月書八十八翁
強い西日に照らされながら、私は大理石に刻まれたこの詩に心打たれたのでした。
大きな地図で見る福岡のど真ん中。この文学碑の前を私は何度も通っているはず。気付きませんでした。。
帰り道、ジュンク堂で著書を買い求めようとしましたが、1冊も在庫がありません。
amazonで注文しようと思った時、あ、もしかしたら図書館にあるかもと思い・・・。
Bingo!ありました!
在庫書籍の半数ほどは貸出禁止になっているので、もしかしたら原田種夫さんご自身が寄贈された本なのかもしれません。ご自身の本を読めるなんて、こんな素敵なことはありません!
ひょんな出会いに導かれ、しばらくは図書館へ行って読書をする時間が増えそうです(^^)。
と、こんな素敵な出会いの連鎖があったことを抑えきれず友人に話をしました。
すると、とても共感してくれたり、またある人はamazonでずいぶん昔(米ドルしか使えない頃)に専門書を買ったところ、イスラエルから船便で送られてきたという話をしてくれました。遠い国の会ったこともない人だけど、自分と同じ専門書で勉強してたんだな・・・て思うと不思議な出会いというかおもしろいですよね(^^)。
この件を通じてふと思ったのですが・・・
今、生まれた時からインターネットやパソコンがある環境で育ったデジタルネイティブ世代がいます。きっと近い将来、iPadなどで世界中の書籍や資料にアクセスするのが当たり前の世代がくるのだと思います。欲しい情報を瞬時に得られて、とても便利で素晴らしいし、早くそうなって欲しいと思います。
でも、その反面・・・
何か情報を得ようと探す過程で生まれる偶然の出会いや感動などとは縁遠くなっていくのかな・・・と少し寂しい気持ちがあるのです。もちろん全く無くなるわけではないと思いますが。
上手く言葉に出来ないのですが・・・
「探す=検索する」ではないんですよね。次世代デジタルネイティブ世代の子供たちに、こうゆうことを伝えていくのも私たち大人の役割なのかなぁ・・・とふと思いました。
久しぶりにブログ書いたら長くなってしまいました(>_<)。